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「見える」ものと「見えてくる」もの
写真家の大辻清司さんの「写真ノート」の一節に、こんなことが書かれていた。長い引用となるがお許しいただきたい。
“たしかに写真も映画やテレビも、見れば何が写っているのかわかる。まず嬰児の目に映る生まれてはじめての像と同じように、風景のことごとくは見えるはずである。だが見るというのはそれだけで終わるのではなく、その情報をもとにして大脳の作用が加わったとき、はじめて物事は「見えてくる」。嬰児は「見える」ものと「見えてくる」ものとの学習の過程があって、はじめて「見える」ものの意味を理解する。そうした繰り返しの後、「見える」ものは「わかる」ものとして目に映じる。”
「写真ノート」大辻清司著
私は写真家ではないが、仕事を通じて、日常を通じて、「見える」ものと「見えてくる」ものを行き来しているのだと、大辻さんの著書で気がついた。そして、その行き来、学習は、生涯続く。
「見る」「わかる」というのは、本当は大変なことなのだ。簡単ではない。
画家のゲオルグ・バゼリッツ(Georg Baselitz)も1992 OctoberのARTnewsで下記のように発言している。
I was seeking a way to shock myself, looking for a way to see things differently.It seemed to me that the clearest break with and transgression against convention would be through inversion -putting the top at the bottom and the bottom at the top
バゼリッツの逆さまの絵画も、「見える」ものと「見えてくる」もの行き来、そのための試行錯誤から生まれてきたのかもしれない。