Void
中心のない世界
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フランスの思想家であるロラン・バルトが著書「表徴の帝国」の中で、
「この都市(東京)の中心は、空虚(VOID)である」。と書いてます。また「フランスでは食事に順序をあたえ、料理の中心がある」のに対し、日本料理には「中心がない」とも言っています。
ひょっとしたらそれは日本の文化全体に言えること、そして日本人自身にも当てはまることかもしれません。阿部謹也氏は「世間とは何か?」など著書の中で、明治時代に輸入されたSociety とIndividual という言葉を引き合いに出し、「日本には、社会と個人はなく、世間しかない。日本人は、その世間の中で情理に合わせて生きている」。と話をしています。
また、考えてみれば、世間に対して家族があり、その中に本人はいるが、それは、本当の意味でのIndividualはなく、世間や家族との関係をなくして見い出すことはできない。つまり、個人としても、その関係にも、やはり中心がないように感じるのです。
実はインターネットの世界はその中心がない世界をさらに拡張しているように思います。内と外との境界をあいまいにし、時空間を超えてつながりあえる世界。そこで繰り広げるコミュニケーションに中心はなく、他愛もないInteractionを繰り広げる。最近、流行りのLINEをみていると、その中心のないコミュニケーションを象徴しているように思えます。NAKED CLUEは流行り廃りを現象面だけでなく、その本当に意味する所を捉え、コミュニケーション戦略を考えていきます。